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日本の エレキギター の歴史と業界 第3話 | THEONE | ハイエンド エフェクターなどの解説

エレキギター の歴史と業界 第3話

日本の中での エレキギター の歴史として第2話では、日本国内でギターを製造していた2大巨頭の一つ マツモク木工(1987年に解散)についての解説を中心に話をしました。今回は富士弦楽器(フジゲン)を中心に第3話を進めたいと思います。

皆さんご存じのフジゲンは、現在まで続く日本を代表するギター製造会社であり、その始まりは1960年になります。第2話で解説したマツモクよりも早くギター製造を始めており、創業当初はヴァイオリン製造からスタートしました。完成したヴァイオリンのサンプル品を持って楽器商社へ訪れますが芳しい評価は得られなかったようで、その後、市場の調査を行ったところ、ヴァイオリンの市場規模は小さく新規参入はネガティブ要素が大きく、一方ギターは潜在需要が多いとされるが、供給はきわめて少ないとされ、ギター製造にシフトすることなります。
しかしギター製造専門の知識に乏しく、始めは既存のクラシックギターを入手し、分解して構造の研究をして製造に着手し、ヴァイオリン製造や木工の知識がある職人によって造られたギターの評価は高く、国内の商社を相手にしての製造がはじまります。
当初は、ある種、見様見真似の部分もあり、ブリッジロケーションの必然性など音階理論の理解が乏しく大量返品を食らうなど苦難の時代でありましたが、まもなくして、クラシックギターの製造が軌道に乗ったころには、アメリカのWholesalerから直接の注文があり、そんな関係の中でアメリカの市場の動向がエレキギター製造を始めるきっかけになりました。

当時のエレキギター

日本は、アメリカなどの先進国と比べ低いコストで製品の製造が可能な国と捉えられていたと思われ、既にアメリカではエルビス~ベンチャーズそして1962年のビートルズデビューとエレキギターをメインとするロックミュージックが盛んになり、エレキギター 市場も確立してゆく中で、アメリカの業者はビギナー向けの安いギターの生産が可能な日本の富士弦楽器にエレキギターの生産も依頼することになったのです。
日本の商社経由の輸出も含め、多くの注文が入り大量の木材を乾燥する必要があったが十分な乾燥工程に時間が費やせずに塗装工程に入ったことにより組み込み段階で、塗装クラックなど問題を抱えることになってしまい、同じ松本市内にあり、シンガー日鋼の子会社でミシンキャビネットなどの製造を主とし、富士弦楽器より大規模な木工の製造、乾燥設備をもち知識も豊富な松本木工に相談することになり、ネック、ボディのOEM生産を依頼し、マツモクとの関係が始まります。(マツモクはこのOEM生産がきっかけで楽器製造を始めることとなります)

エレキギター の量産を始めるにあたり、電気系の技術者など社内にはおらず、伝手を頼って電気系に明るい人材を確保してGibsonなどのピックアップを分解して、構造、コイルのターン数、磁石の種類などを研究し、独自のピックアップを追求していったようです。

皆さんご存じのGreco (グレコ) は神田商会のブランドとして認知されていますが、富士弦楽器が輸出製造していたブランドのGOYAからセカンドブランドである『Greco』の製造を依頼されたことに起因しています。
輸出を始めますが、製品不良でクレームが起こり、既に製造が完了している国内に有る数百本の在庫も含めてキャンセルになってしまいます。国内市場は活況になりつつあり品不足の状況である中、このタイミングで商標登録を行い国内取引会社の1つ神田商会に在庫分を引き受けてもらいます。それらが好評でさらに追加の注文が入り、神田商会との関係も強くなっていきます。
この流れによって皆さんが知る国内ブランド『Greco』が始まることになるのです。
しばらく間はアメリカGoyaへのGrecoと国内向けのGrecoを製造していたようですが、この一連の「けがの功名」のような偶然によって神田商会の『Greco』が誕生し、その後、ビートルズの来日し、GSブームが巻き起こり空前の エレキギター 人気に日本国内は沸き返ることになっていきます。

舶来文化である『Rock=不良』などと、レッテルを貼られ、挙句には『エレキギター禁止令』なるお達しを出す自治体まで現れる始末であり、理解に苦しむ時代でもありました。また、当時、テレビ番組ではゴールデンタイムに「勝ち抜きエレキ合戦」なる番組(エレキギターの実力を競うのか?アスリートじゃないんだから)が人気を博しておりエレキ人気の高さに右往左往する時代でありました。
空前の エレキギター ブームによってのエレキギターを扱う問屋、商社も多く誕生し、また、製造側もフジゲン、マツモクの他にも多数の木工に関わる会社が エレキギター 製造を手掛けていきます。(下請けOEM生産も含めて)

1960年代初期に始まった日本のエレキギター産業は苦難を乗り越えて急激な発展を遂げておりましたが、60年代の終り頃にはGSブームも終焉と時を同じくして生産は先細りになり、OEM生産を手掛けていた木工製造会社は倒産、吸収など、淘汰されていくことになりました。

再び、エレキギターのブームは70年に入って、世界的人気のロックバンドの来日公演続き、新たなロックサウンドがもたらされてバンド演奏が盛んになり、新たなエレキギター時代が幕あけすることになるのです。

当時のエレキギター禁止令

エレキ禁止令は1965年、市教育委員会の校長会で行われた申し合わせ。「エレキ=不良」という発想から子どもたちのギター購入やバンドの結成、演奏会の企画や参加などを禁じた。当時大きく報道され、全国の自治体に飛び火した。市教委はその後、方針を撤回した。

日本の エレキギター の歴史と業界 第4話へ続く

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