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エレキギターの2大ブランドの1つ Fender の創業者 レオ・フェンダー とは? | THEONE | ハイエンド エフェクターなどの解説

Fender の創業者である レオ・フェンダー の功績

Fender という名前は、ギターを演る者であれば、ほぼ100%の人が知っているブランドだと思います。レオ・フェンダー の画期的な発明によってエレキギター、エレキギターアンプなどが次々と生み出された事で、音楽シーンの未来に多大な影響を与えたと言えます。
ロックンロールは レオ・フェンダー が手掛けたソリッドボディのエレキギターによって誕生したと言え、その後ロックミュージックは多様性を生み、現在も進化を続いています。優れた音楽家によって音楽が大変革をもたらすことは、よく耳にする話でしょうが、楽器によって新たな音楽ジャンルが発生したのです。彼が70年以上前にデザインしたギターが、当初のデザインのまま現在でも第一線で使用されていることは、驚異的な事実です。レオ・フェンダー による数々の発明は、現在まで楽器製作の現場で受け継がれており、彼が歩んだその足跡と偉大な功績を追っていきたいと思います。

fender

レオ・フェンダー (Clarence Leonidas Fender)は、1909年8月10日、カリフォルニア州アナハイム近郊の農家に生まれた。叔父の影響もあり幼少期から、工具や機械に強い興味を示し、成長してからはカントリーやハワイアンなどの音楽にも惹かれていった。
’20年にはアメリカで世界初のラジオ放送が開始されるとラジオが最先端の電子機器技術として強い興味を持つようになっていった。その頃、電気関係の仕事をしていた叔父が自作でラジオを製作していたことにも強い興味を持ち、叔父からの手ほど受け、ラジオなど電子機器技術にのめり込んでいき、ハイスクール時代には知り合いの所有するラジオやオーディオ機器の修理を手掛けるようになった。ハイスクール卒業後は会計士を目指しカレッジに通いながらも、独学で電子工学に対する造詣を深め、PAシステムを自力で組み上げるまでになり、それらをレンタルするなどの仕事もし始めていた。カレッジ卒業後は経理事務の仕事に就くが、世界恐慌後の不況であり1938年には得意な電子工学と電気機器に対する知識を生かし『フェンダーラジオサービス』設立しビジネスを始めました。

フェンダー

ラジオや音響機器の販売、修理を手掛けたレオの元には、地元のミュージシャンがリペアの為に持ち込んだギターアンプやエレキギター、スティールギターに興味を持つようになる。
産声を上げて間もないエレキギター、アンプは多くの改善する余地が有り、アイディアを思案することとなり、アンプの製作を始め、楽器用のピックアップのデザインも手掛けるようになった。

その頃、出入りしていたミュージシャンの一人にドク・コフマンは、初期のリッケンバッカー社で働いていた経歴も持ち、楽器についても精通していた。二人は独自のピックアップを開発し、そのピックアップが取り付けられたソリッドボディ構造のスティールギターは評判を呼び、1945年、レオとドクは『K&Fマニファクチュアリング』を設立し、エレクトリックスティールギターを製品化、数種類のラップスティールギターと、それと組み合わされるアンプを開発し、商品ラインナップも充実し業務拡張を計っていったが、ドクはビジネス面での折り合いがつかず、会社を去ってしまう。

ドク・カウフマンがK&Fを去った1946年、社名を『フェンダーミュージカルインストゥルメンツコーポレーション』に改めた。新興メーカーであるフェンダー社はスティールギターとアンプの分野で好調にシェアを広げて、遂に1948年にスパニッシュスタイルのエレクトリックギターをデザインすることに着手することになります。
その頃のエレクトリックギターはフルアコースティックのアーチドトップボディにピックアップを取り付けたものが主流であり、ボディの共鳴によってフィードバック現象などの問題を抱えていた。レオは自身が開発したエレクトリックラップスティールギターの長所をスパニッシュのエレキギターに採り入れようと考えたのだ。

同じ頃ポール・ビグスビーが手掛けたカスタムメイドのソリッドボディエレクトリックギターにインスパイアされたレオは、量産品として生産性に優れ、素晴らしいサウンドと演奏性を持ったエレキギターを目指し、プロトタイプを経てボディに空洞部分を持たないソリッドボディのエレキギターを完成させます。
ホロウ構造でなくソリッドボディ構造のみならず、別々に加工されたボディとネックをボルトで接合するセット方法、また、それまでのスパニッシュギターでは、指板とネックは独立しており、フレットは指板材に打たれていた構造を、強度があるメイプルをネック材に選び、しかもネック全体をメイプル材のワンピースで構成し、ネック材に直接フレットを打つなど、既存のギターブランドでは考えが及ばない画期的なアイデアの構造を備えて、その名を『ブロードキャスター』と命名された。(後にTelecasterに改名)

テレキャスター

それらのスペックは製造工程を簡略化によってコストダウン、メンテナンス性を考慮した仕様であった。
ソリッドボディ構造ならではのボディデザインの自由度を最大限に生かして深いカッタウェイを備えることでハイポジションでの演奏性の高め、イントネーション調整(オクターブ調整)が行なえるブリッジ、1列に並ぶペグレイアウトはチューニングのしやすさと安定を生んだヘッドデザインなど、それまでの量産型エレクトリックギターでは考えられないスペックを備えていた。

また、ネック構造に関しては、この当時までのギターでは考えが及ばないようなアイディアが盛り込まれている。ヘッドに角度を持たないフラットなヘッド構造の為に一列に並んだペグレイアウトの採用による問題点である「高音弦がナット部へのプレッシャー不足」を解消すべく『ストリングリテイナー』(ストリングスガイド)の考案である。

更にこの構造による最大の問題点であったと推測されるのが「トラスロッドをどのように装備するか」ではなかったのだろうか?ネック本体が指板の役目も担う1ピース構造の採用によって、ヘッド側からネックエンド側までを貫くトラスロッドスロットが必要になるのですが、どちらか一方からドリルで貫くことは不可能です。
さらにヘッド側からアプローチはフラットなヘッド構造の関係で真っすぐに開けることは難しく、若干、斜めネック裏側方向へのアプローチになっており(ネックエンド側も同様)ネック裏側に開けたトラスロッドスロットと繋ぎトラスロッド装填後に埋木されたことでスカンクストライプが存在するのです。

このように苦難の末に考えついた工程によってトラスロッドは弓なりに装填されることになり、トラスロッドのアジャストにロスのない可動域を生みました。このトラスロッドを弓なりに装填することは、今日のギター製作ではセオリーとなっています。

このようにして誕生したFender初のエレキギターは当初、否定的な意見も多く聞かれたが、地元のギタリストを中心に徐々に浸透していった。

アップライトベース~エレクトリックへ

レオ・フェンダー の数々の偉業の中で、ある意味、最も重要な功績はエレクトリックベースの開発が有ります。
それまでは低音弦楽器パートを担うベースは、巨大なボディの構造であり、大音量化してきたバンドアンサンブルの中では音量的に問題が有るアコースティックのアップライトベース(コントラバス、ウッドベース)しか無く、フレットレス構造もあり、熟練した演奏テクニックを要するなど、多くの問題が表面化していました。
レオはこの問題にもエレクトリック化、ソリッドボディの採用を考え、さらにギターのようにフレットを打ちフレッテッド化することで、簡単にベースプレイが可能なベースを作り出せると考え、既に発売していたTelecasterの市場での評価も不安定な1951年にソリッドボディのエレクトリックベースを完成させます。

Fender Precision Bass

このベースは『Precision Bass』と名付けられ、フレテッド構造の採用によって正確な(プレジション)音程、携帯性、フレキシブルな音量性能、プレイアビリティなどの優位性をアピールした。発売当初、アップライトベースに代わる新たな楽器として市場では疑問符が有ったが、新たなバンドアンサンブルの形態を生み出すことになり、エレキベースの地位は確立していき、1960年の『Jazz Bass』の発売により不動のポジションを築き、あらゆるジャンルでエレキベースが今日まで使用され、60年以上経った現在でも レオ・フェンダー が作り出したプレジションベース、ジャズベースがエレキベースの規範でありスタンダードとして身近な存在であり続けています。
その普及率を考えればレオ・フェンダーによるエレクトリックベースの発明が楽器、音楽シーンに与えた偉大な功績は言うまでも無いでしょう。

ストラトキャスターの誕生

テレキャスターの発売以降、ソリッドボディのエレキギターは市場での人気を高めていく中、Gibsonはマンドリン、アーチドトップギター製作などで培ってきた伝統的な工法を生かしたセットネックでアーチドトップ形状の高級感の溢れるソリッドボディのエレクトリックギター『Les Paul』を1952年に誕生させます。

常に改良への意識が高いレオは、プレジションベースを発表した頃には、既に新たにTelecasterの上位機種の開発を始めており、自社に訪れるミュージシャンの声に耳を傾け、積極的に取り入れ具現化していき、ウエスト、エルボー部のコンター加工、6弦全てが独立したサドルによる正確なイントネーション調整、各弦の弦高調整、ヴィブラートユニットの開発などの研究を重ねて1954年4月に上級機種として遂に『Stratocaster』を発表します。
このようにストラトのディテールには、数々の歴史的ともいえる発明が盛り込まれていますが、なんといってもヴィブラートユニットである『シンクロナイズドトレモロ』が挙げられると思います。

fender ストラトキャスター

1940年代から既に存在していたBigsbyのビブラートユニットのネガティブ要素を研究して、新たなヴィブラートユニットを手掛けていきます。ブリッジ部が固定されており、テールピース部分が可動することでビブラート効果を生じさせる従来の方法では、チューニングの不安定さ、サスティーン不足と考え、ブリッジ部とテールピース部を一体化させ、さらにブリッジプレートの下に鉄の固まり(イナーシャブロック)を備えることで豊かなサスティーンとチューニングの狂いを最小限にし、ビブラート効果の可変域が広い新たなビブラートユニット『シンクロナイズドトレモロ』を完成させたのである。ボディの裏面を大きく加工してスプリングをイナーシャブロックから固定する大胆な発想は、まさに発明家 レオ・フェンダー の真骨頂と言えます。

レオは緩やかなトレモロ効果を狙って開発したこのユニットは、60年代に登場した『Jimi Hendrix』によって想定外の使用方法がされ、レオは「激怒した」とされます、楽器が先に存在して、それらを使うプレーヤーによって新たな奏法が生み出されることは、音楽史の中で度々あることです。(チョーキングなどのテクニックも典型的な例ですね)

現代まで愛される数々の名器

既に発売していたプレジションベースはコンターボディを採用し、1957年には、スプリットコイルピックアップを搭載した現在では一般的に認知されるスタイルになります。
その後は、ジャズマスター、ジャズベース、ジャガーなどを手掛け、スチューデントモデルのミュージックマスター、ディオソニック、ムスタングなど、現在に至るまで多くのプレイヤーに愛用される名器を生み出しました。

アンプに関しては、「エレキギターサウンドはアンプとギターが一対である」と考え、エレキギターと同時に新機種を開発し、この当時に登場したアンプが後のアンプ製造メーカーに多大な影響を与えました。(MarshallがFender Bass Manのコピーから始まったされるのは有名な話ですよね)

残念ながら1965年にはレオは健康上の理由から社長の座から退き、フェンダー社をCBSに売却することになり、 レオ・フェンダー によるフェンダー社は終わることになるのです。

しばらくは新たなCBS傘下のフェンダー社に顧問という形で席を置きますが、70年代初頭にミュージックマン社を設立、その後、Fender創設期からギター設計を共にしてきたジョージフラートンとG&L社を設立して新たなギター開発を行ってきましたが1991年にその生涯を終えます。

レオ・フェンダーが研究開発した数々の楽器は、名器として現在に至るまで愛用され、新たな音楽ジャンル、奏法を生み出しました。特に1960年までに手掛けたテレキャスター、ストラトキャスター、プレジションベース、ジャズベースは、全てのジャンルで現在でも愛用されるエレキギター・ベースの基本となっており、その功績は図りしれず、「エレキギターの父」とも呼ばれている。

まだまだ書き足りないことだらけですが、またの機会に。

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